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Colorholistic creator Dr.halのブログです。
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我が家のルーツ(甑島・春田家)

我が家の祖先が土佐一条家の家司
源康政(一条康政)と伊予宇都宮氏の娘との
間にできた子、季弘であることが、ご先祖さんからの
資料でわかっていたのですが、土佐一条家の系図など
ネットで資料を見ていても、その名が見当たらず、
確信が持てないでいました。
ところが、今日、島津家家臣団人名録
橋口季弘一条康政子長門万右衛門の名を
見つけました。
季弘は10歳の時(永祿八年)、大友宗麟の招請を受け
九州にわたり、出家し橋口と名を改めたのです。
出家すれば、国内を自由に往来できるメリットがあったようです。
しかし、大友宗麟はご存知のようにキリシタンでしたから
季弘も内面はキリスト教を信仰していたのかもしれません。
季弘
義理の母は大友宗麟の娘と記されています。(政略結婚ですね。)
しかし、これは一条兼定とも重複しているような気がします。
もしくは康政、兼定ともに大友宗麟の娘と結婚したのでしょうか
康政については情報が少なく、わからないことが多いです。)

その後、18歳の時(天正元年)還俗、その後、天正二年十一月
矢房大明神の夢想を蒙り下甑島へ下向したとあります。
なぜ、ここで甑島になったのか、これも疑問点です。
当時の情勢、季弘の立場がもう少し理解できればわかるのかも
しれません。

そして下甑島へ渡り現在の青瀬村に定住、その三世の三男から、
住んでいた住居の名(春田屋敷)より春田を名乗るように
なったとのことです。
これで、ルーツについては確証がもてました。
一条康政の子とありますから間違いなさそう、感無量です。
 
ちなみに、全国の春田姓の80%が鹿児島県だそうです。
春田姓の由来には張田(新しい土地を開拓してできた田)
から来ているよいう説があります。が、詳細は不明です。
これについても謎が残ります。


 あとは季弘の実母の名前、義母の名前がわかれば
いいのですが、何かご存知の方、ございましたら、
情報提供をお願い申し上げます。

高知南西部の旧国名は波多国(国造は天韓襲命)で秦氏と密接に
関連があったのではと言われています。
そういえば、私のご先祖さまが、甑島の青瀬に渡ったとき
住み着いた丘をハッタンオバネと呼んだそうです。
ハッタンは漢字にすれば、八反だが、八端ともなるし
ハタが訛ったものともとれる。
ちなみに八端十字架(はったんじゅうじか)というのがある。
どうも、ハルタというネーミングをご先祖さまが創作したのには
古代キリスト教→秦氏→波多国→→??→土佐一条家→大友宗麟→
ポルトガルからのキリスト教→これらがミックスした結果のではないか?
いう推論もでてきます。

でも、わからない、もっと、資料が必要ですね。

4月29日
八端十字架、がイエス・キリストを象徴するものだとすると
矢房大明神の夢想を蒙りというところは
八つの房→八つの端、つまり八つの端の大明神ということに
なりますから矢房大明神とは実はイエス・キリストのことを
示している可能性があると考えられなくもありません。
源康政(一条康政)は後醍醐源氏の流れ、(土佐一条家は
藤原氏の流れ)で後醍醐天皇は京都市上京区にある妙顕寺
の成立に関わりが深いが、このお寺の妙見大菩薩ののぼり
には八つの房のある十字が、そして、別の場所にある
八房大龍神ののぼりには六芒星を思わせる、三角の印が
デカデカと載っています。龍はイエス・キリストを示して
いるという話しもあります。ここまで、条件が揃うと
間違いないでしょう。矢房大明神の夢想を蒙りというのは
古代キリスト教の考えが受け継がれていたことになります。
(ちなみに、後醍醐天皇が流された、隠岐にはヤフサ信仰が
あるそうです。今でもそのお祭りがあるとのこと。)

つまり、ご先祖さまはイエス・キリストの夢を見て
甑島に渡った、ということなのでしょう。
しかしながら、なぜ甑島なのかわかりません。
甑島には楠木正成の嫡男、楠木正行が家の子郎党ともに中甑に落ち
ています。楠木家は南北朝時代、後醍醐天皇側についていました。
そのことが、関係しているのかもわかりません。
ご先祖様の親元が長宗我部に攻撃され、拠り所のないご先祖さま
拠り所を失い、とても苦労されたのだろうなということが
うかがえます。


甑島の春田姓の起源についてわかっていることは
今のところ以上です。
ちなみに、種子島の春田姓は甑島から移住した春田
だと父が言っています。昔、甑島から種子島に移住していった
春田さんがあるそうです。

昔は一条という公家だったのに、失政のために、落ち延びて
キリシタンとなり、さらに落ち延びて、本当大変だったのだろうな
と思います。今、当家は浄土真宗ですが、色々な宗教に興味を抱き
つつも、無信仰なのはひょっとしたら、こういったDNAに刻まれた
痛い思いでが原因なのかもしれません。

*********************************
高校生のためのおもしろ歴史教室より
 旧約聖書によれば、アブラハムが、ようやく授かった長子イサクモリヤの山に連れて行き犠牲として神に捧げるようにと命じられました。まさにアブラハムがナイフでイサクを手にかけようとしたときにヤハウェが、柴に挟まっていた山羊を代わりにする様に命じイサクが解放されます。この試練を乗り越えたアブラハムは神より祝福され、子孫の永続と繁栄を約束されます。この物語そっくりな儀式をおこなっていたのが諏訪大社の「ミサクチの祭り」です。
 明治初期まで、8才くらいの少年を柱に括り付けて神官がナイフで手にかけようとしたときに、もう一人の神官があらわれ、少年が解放され代わりに鹿が犠牲に捧げられるというものです。今は、少年が括り付けられることはありませんが、この儀式が今も、モリヤ(守屋)山でおこなわれ、神官のモリヤ(守矢)氏が代々主催しています。
 この祭りに関係する諏訪大社の前宮と本宮は、ともにモリヤ山の麓にあります。モリヤの神を礼拝するために諏訪大社が建てられました。モリヤの神は、ヤハウェということになります。この祭りは、縄文末期頃からおこなわれていただろうのではないかということです。守矢氏と秦氏の関係は不明です。
**********************************
 この記事を読んでまた、気づいたのですが、実は当家は網元でした。
氏神さまがあります。その氏神様にを祀る神社は森山神社と言います。
漁師の氏神さまなのに、どうして森と山なんだろう・・・とずっと思っ
ていました。マリヤさまをもじったのかなとも想像していました。
でも、これは明らかにモリヤ山神社ですね。
なぜなら、当家一代目の名前は春田市作だとされています。
市作=イサクです。ここまで条件がそろってくると、春田という姓は創作としか思えません。

土佐一条家のあった地は波多国と言われ、古代キリスト教との関わり
が深い地と言われています。一条氏はもと藤原氏で古代キリスト教
との関わりが深かったとネット上の情報で知りました。
応仁の乱で、京から四国へ移住したのには、それ相応の理由があった
はずです。そこにはやはり、波多国の名に見られるように、古代キリスト教
と関わりの深い地へ還ってゆくといった意味があったのでしょう。

春田市作という人はその名と、神社に付けた名により、それらの
先祖のいわれを残したかったのでしょう。

その暗号をやっと、解き明かしたことになります。
聖書の内容を知っていれば、もっと早く分かったのでしょうけどね。
そして、四国に残された謎が解明されれば、もっと深いことが
わかるのかもしれません。

さらに、追記

 森山神社の祠のまわりには6個位の石があったそうで
祠の神を守る、守り神さんだそうです。(今は一つしか
ありません。)先日、おそまきながらダ・ビンチコードを見ていて
気づいたのですが、マクダラのマリアを守る騎士の墓が
6体ありましたよね。祠の周りの石って、これと同じ意味??
だとすると森山神社の森山はマリヤになるのでしょうか
それともモリヤ山でヤハウェを祀っているのでしょうか。
この祠の神様は観音さまだと、聞いたこともあります。
マリア観音です。う〜〜んどうなっているのだろう。
ご先祖さんのメッセージをしっかりと受け取れているのだろうか?
まだまだ、深い何かがあるのだろうか?
謎は続きます。


甑島=凝水火(こしき)島
 つまり、天地がいまだひらかれないとき、一つの凝りをなし、
その凝りより水火が別れ出て、その水と火がくんで天地をなし、
万物を生成する。そのことが、この島の名に込められているのでは、
と思います。

甑島の湖「甑四湖」は甑島有数のビュースポット。
なまこや魚介類の生息するなまこ池は海水と淡水二層からなり、
貝池には30億年前に出現した微生物クロマチウムが現在も生息して
おり。また、世界で3ヶ所しか確認されていないクロマチウムの
生息地でもある。凝水火「こしき」と言われるだけに、30億年前
の記憶が現存しているのことになる。この一連の問題はもっと深い
のかもしれません。



2010年12月20日
クリスマスを前にして、謎が解けてしまいました。
いや気づくのが遅いくらい、と言ってもいいでしょう。
土佐一条家の末裔として、大友お宗麟の庇護をうけ
僧となり橋口姓を名乗るようになり、甑島にわたり
その3代目の三男が、春田市作と名乗った。

それが、甑島春田姓の始まり、
春田=HARUTAインドネシア語ではHARTAは宝を意味します。
市作=イサク、イサクは聖書上ではアブラハムの息子
アブラハムは神との契約をむすびました。そのアブラハム
を継いだのがイサク。イサクはアブラハムの財産、宝を
引き継いだのです。それはイエス・キリストの来臨をも
含んだ神の約束、神の祝福をもたらす約束です。
それがアブラハムから引き継いだイサクの宝。

つまり、春田市作はHarta Isaacつまいイサクの宝
を意味することになります。これはつまり、神への信仰
の誓いを名前に刻み込んだ子孫に対するメッセージだと
いうことになります。当家の氏神さまは森山神社
本家は龍神さまの神社のようです。龍神=イエス・キリスト
という説もあります。分家である当家がマリア信仰
本家がイエス・キリストと分けたのかもしれませんが、
これはあくまでも推測の域を出ません。

 それにしても、やっと当家一代目のその
氏名に託したメッセージコードをやっと解くことが
できました。

 で、今、当家は浄土真宗・・・、いったいどうしたら
いいんでしょうね・・・・。しょんぼり
writer : Dr.hal | - | comments(24) | - |


コメント
突然のコメント申し訳ありません。春田家のルーツに興味があり、拝見させていただきました。と言いますのも、私も春田性であり、これまでのルーツが全く分からず何か手掛かりが見つかればと思っていました。これも何かのご縁ではと思い、コメントさせていただきました。
真希 | 2010/04/11 8:35 AM
真希さま、コメントありがとうございます。我が家のルーツはほぼこれで間違いないと思うのですが、橋口姓から春田姓になった経緯がまだ、一つよくわかりません。それが、謎です。
春田という姓を付けるのがあの当時、流行していたのでしょうか?それとも、新しく田を開拓した人たちが治田→春田となのったのでしょうか。ご先祖さんは大友宗麟のお世話になっていたので、当然キリシタンになっていたと思われます。ひょっとしたら、キリスト教と名の由来も関係があるのかもしれません。例えば、先祖代々の家はかつて春屋敷と呼ばれていたそうで、それで春田を名乗るようになったとも言われています。
春屋敷はハルヤシキで、ハレルヤヤシキがもとではなかったのかなどと推測もあります。だとすれば当時はキリスト教は禁止されていましたからそのように名乗ったのではとも思われます。
また、当時のキリシタンが交流したインドネシア地方の言葉ではHARTA(ハルタ)という言葉があります。これは宝物とか財産とかいう意味です。またスペイン語ではHARTAはもう沢山だ、とかもう満腹だとかいう意味があるそうです。
このHARTAという語はもとは古代キリスト教を東方に広めた巨丹(ホータン)地方に由来するのではないのかなとも思っています。
ちなみに巨丹(ホータン)から古代日本に渡ってきた人たちは秦(ハタ)姓を名乗り、現在の神社の宮司さんになっている人が多いとのことです。

いずれにせよ未だに、春田姓が鹿児島県に圧倒的に多いことはその名の発祥と大きくかかわりがあると思います。が、そもそも春田姓の発祥の元が分からない事自体が最大の謎だと思っています。
風楽 | 2010/04/11 6:03 PM
こんばんは。はじめまして。
旧姓「春田 祥子(しょうこ)」です。
春田のルーツ、よく調べておられますね〜
感心しました。。。
我が春田家は、東京に墓(約400年ほど前に建立)があり14代前までは、先祖書きが叔父の家にあるので判明していますが、家紋は「丸に違い釘抜き」で曹洞宗ですので、同じ春田でも先生と流れは違うかもしれません。
父が結婚するまでの何代か前までは神戸に本籍があったり、鳥取にも縁があったり、西に縁がある家なのは、間違いありませんが・・・・

しかし「同じ姓」というのは、なんとなく親近感が沸きますね。
http://homepage3.nifty.com/haruta_tech/HISTORY.htm
↑この方も春田家のルーツを調べておられる(この方の書いている春田家は、たぶん我が家です)のですが、連絡はしておりません。
私のいとこに「春田章博」という人物がいるのと比較的年齢も近いようですので(私は1965年生まれです)、いとこと似た名前の春田先生へ、メッセージを!と思った次第です。
では、ゆっくりと先生の書かれたルーツを、再度読ませていただきます。

ではでは、お仕事のほうも、益々のご活躍を祈りしております。

旧姓 春田です | 2011/05/25 11:47 PM
春田祥子さま、コメントありがとうございます。
春田姓は鹿児島県に多く、その由来がはっきりしていません。
多くの春田さんの情報が集まれば、色々とわかってくるかも
しれませんね。
また、何かございましたら、コメントください。
春田博之 | 2011/05/26 2:11 PM
初めまして。
私が住んでいる地域一帯は春田姓が全体の80%をしめております。(福岡県内です。)
ですから名字の由来というものが気になり拝見させていただきました。とても参考になりました。
haruta | 2011/06/15 6:08 PM
harutaさん、春田姓が80%をしめる地域があるなんて
びっくりです。そちらの春田さんの由来がわかりましたら
是非、教えてください。
春田博之 | 2011/06/15 8:22 PM
初めまして!もう二年前のブログの様ですが、我が家のルーツについて調べていて辿り着きましたので書き込みをさせて頂いております。私の家は事情により、一家離散をしてしまって幼い頃に家にあった家系図、江戸時代最後期、明治時代に撮影されたと思しき貴重な写真なども今はもう手元にありません。今は亡き父から伝え聞いたことを覚えているくらいです。私の祖父の性は「窪田」祖母の性は「春田」で祖父は熊本県人吉市で材木商を営んでいましてそこに祖母が嫁入りをしたのですが、当初は祖母の性「春田」を名乗っていて、うちの父も幼少期は「春田」だったそうで、途中から「窪田」に改名することになったそうです。父から聞いていたのは祖母は甑島にあった城のお姫様、つまり城主の末裔にあたるんだと申しておりまして、それは子供に伝える為に大袈裟に言っていたのか、一部が本当で一部誇張があったのかさえ今では全く分かりません。我家には家系図と共に写真がたくさんあって、お侍さんの写真もあって写真の裏には「たつのしん(正確な感じを忘れてしまいました)」と書かれていました。お前のご先祖様だと父は言っていました。これが「窪田家」側の先祖かも「春田家」側かも判然としません。一度ルーツを探りに甑島に行ってみたいと思っています。ネットで調べて初めて「甑島」と「春田」が結びついて、あながち父は大袈裟にばかり言っていたのではないと少々驚いています。祖母の名前は「ヤヨギク」、その母の名前は「キク」と言います。
Mark | 2012/09/26 3:45 AM
追伸:祖母と父の妹はクリスチャンでした。
Mark | 2012/09/26 3:56 AM
Markさんありがとうございます。お祖母さんが甑島からの春田姓だとすると親戚の可能性高いですね。だとすると私達の本家は甑島手打ちの橋口氏になります。でそのルーツは土佐一条家に遡るわけです。島津家家臣団人名録に橋口季弘一条康政子長門万右衛門と記録があります。これはネットで見ることができます。この一条季弘という人が甑島へ渡った私達のルーツになるわけです。春田というネーミングについては記事の仮説を持っていますが、謎は残ります。鹿児島県に春田姓が多いのですが、そのルーツがどこなのかも判然としません。種子島の春田姓は甑島からの移住であることがハッキリとしていますので、私達と同じルーツの春田姓になります。我が家の昔の帳簿などの資料は甑島の手打の資料館に保管されています。参考になさってください。
春田博之 | 2012/09/26 3:57 PM
記事を読ませていただきました。
私もまた、じぶんの先祖のルーツをネットで調べておりました。
私は春田ではないのですが、母の旧姓が春田です。
父も母も下甑の青瀬です。結婚してから大阪にでて私が生まれました。
おそらく博之さんと同じルーツなのではないかと思います。

父方のルーツは見つからないのですが、母方のルーツがキリシタンだったとは驚きです。

今度10年ぶりに島に帰って資料館に寄ってみようと思います。
そこで父方のルーツも何かわかればよいのですが…


春田龍一 | 2013/08/19 8:44 PM
千葉に在住の春田です。43歳になりましたが人生史を書くために家系を調べていました。父は対馬の出身で家紋は橘です。珍しい名前なので親戚以外で出会った方は一人だけです。(長崎出身でした。)なんだか嬉しいです。
春田 孝治 | 2013/12/19 1:07 PM
初めまして、奈良の春田と申します。私もルーツを調べております。以前甑島に多くの春田姓の方が居られるとの事で甑島役場へ電話しました。電話に出られた方は助役さんでその方も春田さんでした。村史の一部をコピーして送っていただいた事があります。が当方とは関係がない様に感じました。熊本の細川藩の家臣の春田姓が関係ある様に思います。京都の具足商が豊臣の時代に奈良郡山藩に抱えられ、徳川に破れた後、細川家に仕えたとの流れです。江戸期は私の街は織田信雄(信長の次男)の城下町で能狂言を度々催した記録があります。そのときに奈良町より、町人役者や春日神社の禰宜役者の演者を呼んだそうですがその中に春田と言う方が度々でてきます。東京の春田さん、大阪の春田さん、名古屋の春田さんと過去にはいろいろお尋ねしましたが。皆さんも関心はあり、知りたいとの重いは持っておられるのですが手がかりはつかめておりません。鹿児島の大手スーパーの春田店へ当方の郵便物がどういうわけか誤送されたことがあり、春田さんから返送されてきたことがあります。熊本へは調査旅行に行きたいと考えております。長いつたないメールになりましたがご容赦願います。これを機会に今後共よろしくお願い申し上げます。
春田一郎 | 2013/12/25 3:06 PM
春田孝次さま、うちの家紋も橘です。長崎のご出身ですか、ひょっとしたら、どこかでつながりがあるかもしれませんね。

春田一郎さま、甑島の春田姓のはじまりはうちがルーツだと思います。明治に飢饉で、種子島へも春田さんが甑島から移住されたと聞いています。春田姓のおこりはまだまだはっきりしませんね、こうやって少しづつ情報が集まれば、何かわかってくるかもしれませんね( ^^) _U~~
春田博之 | 2013/12/25 10:27 PM
春田博之さま、早速ありがとうございます。当方江戸期より呉服商を営み、当時は名字を名乗れず「はりまや」の屋号でした。それで兵庫の方も探したこともあります。余談ですが東京の春田さんに打診したとき、こんな話を聞きました。会津藩の武士で幕末に官軍との戦いで逃れ、匿われた先が江戸に居た熊本出身の芸者で春田姓だったそうです。それからずっと春田姓できたとのことでした。又、最初は春日姓でしたが神社と同じで恐れ多いとの事で、縦棒を入れたと言うのも聞いたことがあります。今後共拝読させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
春田一郎 | 2013/12/26 5:11 PM
私も旧姓が春田で、祖父母は、甑島出身です。

とても興味深いです。
あい | 2014/06/11 11:52 AM
私も旧姓が春田で、父方の祖父母が下甑島・青瀬の出身です。
そこから兵庫県神戸市に渡り、父を含む兄弟が産まれました。

思わずコメントしてしまいました。
いつか、下甑島に行ってみたいと思っています。
tomomi haruta | 2015/01/20 11:16 AM
橋本さま、ありがとうございます。やはり矢房大明神が氏神さんなんですね、何故、矢房大明神なのかというところも興味があるところです。源康政(一条康政)は後醍醐源氏で京都市上京区にある妙顕寺の八房大龍神と関係がありそうだと思っています。手打ちの橋口さんとは父と現在も交流があります。一条季弘が橋口萬右衛門季弘と改名したのは、当時の甑島領主小川越中守季輝の聟となったからなんですね!?大友宗麟により名を授かったのかと思っていました。
情報ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
春田博之 | 2015/05/14 3:10 PM
春田博之様、偶然ネットでブログを見つけ同じ祖先の出自に
親近感を覚えコメントします。
私の姓は春田ではないのですが、手打の橋本家からの分家で
本家の家系図を託されています。矢房大明神の氏神様も青瀬に住んで居る弟が今も管理しています。
青瀬には春田姓の親戚が今もいるし、京阪神にも居ます。
一条季弘が橋口萬右衛門季弘と改名したのは、当時の甑島領主
小川越中守季輝の聟となったからです。手打の橋口家は17代
まで判別します。詳細を知りたいと思われるなら次の電話番号にかけてください。私はネットが苦手です。
sono | 2015/05/14 3:35 PM
なんと私も橋口季弘を先祖に持っています。びっくりです。
橋口 | 2015/06/18 11:09 PM
先日電話を頂いた者です。番号の消去有難うございます。
私も系図作成のためにネットで調べていたところでした。
少しでも参考になればと思い、再度コメントします。
その前に、5/14日のコメントに間違いがありますので、
訂正させていただきます。
“手打の橋本家”からの分家となっていますが、正記は
“手打の橋口家”です。
 これから本題に入ります。
まず最初に、一条康政について記してみます。
系図に、房冬 二男 1572年 戸嶌城で戦死となっています。
誕生年は分かりませんが、長男の房基が1522年誕生なので
1525年頃と推測できます。
康政の系図ですが、“土佐の歴史散歩”に房冬の二男として
名前が書かれています。また、“土佐国蠧簡集”
“えひめの記憶”や、四万十市“不破八幡宮”の縁起にも、
1558年一条康政が京都から棟梁・北代右衛門を招き、2年を
掛けて再建する。等 記されています。
“源康政”説がありますが、私は橋口の系図に沿って
“一条康政”が季弘の父であると考えています。
 次に、季弘について記します。
兼定・大友宗麟との関連付けで述べていきます。
 1556年 季弘誕生 実母 宇都宮の娘
 1558年 兼定 宇都宮豊綱の娘と結婚 (16才)
 1564年 兼定 宇都宮豊綱の娘と離婚 (22才)し
        大友宗麟の娘と結婚
 1565年 季弘 豊後国へ行き出家する (10才)
    注意 (宗麟は1562年 出家している)
 1573年 季弘 還俗して橋口長門守康弘 と名乗る(18才)
 1574年 季弘 甑島へ行き小川越中守季輝の聟となり、
        橋口萬右衛門季弘 と改名する。(19才)
 1569年頃〜1574年頃 宗麟は 肥前(佐賀県)や伊予(愛媛)
     との戦いが頻繁になっていた。また、薩摩の
     島津氏も日向(宮崎)に勢力拡大を狙っていた。
 15781年 宗麟 キリストの洗礼を受ける。
以上の事象で考えられるのは、宇都宮の娘は季弘を生んで
2年目に、兼定と結婚している事になります。
宇都宮豊綱には娘が二人いますが、下の娘は家臣の大野直之と
結婚していますので、同一人と思われます。
 季弘の豊後国行きですが、兼定の障害になる事を恐れた
宗麟が、豊後に呼んだのだと考えられます。
兼定はまだ22才と若く、叔父にあたる康政が軍政を後見して
いた事でしょう。人質みたいな意味合いがあります。
季弘を還俗させて名前を“橋口長門守康弘”と付けたのも、
“矢房大明神の夢想”も、宗麟が全部したことだと思います。
季弘はまだ18才で、還俗したばかりなのに長門守と守護職名
を付けられる筈が無いし、甑島の事等を知る事もないでしょう
これは、宗麟と島津の政略婚の様な気がします。
 季弘の宗教の事ですが、豊後に居た頃は宗麟も出家していた
頃ですので、キリストでは無いように思われます。
また、“矢房大明神”も宗麟の支配地の福岡県宗像市に
“矢房神社”が有りますので、青瀬に勧請するにしても、
其処のほうが便利な様な気がします。
 次に、貴方の祖先の事ですが、季弘の三代後の三男ですから
“良邦”(長太郎・弥次右ヱ門)の三男と言うことですね。
良邦の母は“江口次郎右ヱ門娘”となっていますが、良邦の
子供については記されていません。残念です。
 名字については、住居のあった所からが正解でしょう。
八反が長い間に訛って、春田になったと思われます。
平民に名字が許されたのは1871年からですから、“良邦”誕生
から240年位後の事です。
長々と書いてしまいましたが最後に、甑島と島原・五島・壱岐
等は薩摩の貿易の為に往来がありましたし、1293年蒙古来襲に
備え博多湾に築いた甑島住民の石塁の一部が壊れたこと等が
“甑島の歴史年表”に載っています。最近まで長崎と串木野を
連絡船が結んでいました。お役に立てればと思います。
 頑張ってください。
       
sono | 2015/06/21 5:11 PM
sonoさま小説でも書けそうな情報ですね。ご丁寧に詳細をありがとうございます。どうぞ、お元気でお過ごしください。
春田博之 | 2015/06/21 10:29 PM
橋口さまコメントありがとうございます。歴史を辿るというのは実に興味深いですね。己ひとりがここに居るのではないとうことを知らされます。
春田博之 | 2015/06/21 10:31 PM
博幸先生&#9786;鹿児島の上江令治の孫、西村です。幸枝の娘です&#9786;やっとたどり着きました!このコメントが届けば何よりです。メール頂けませんか?春田のルーツで、先生に朗報あります&#9786;!
西村ひさえ | 2016/04/29 1:16 AM
西村さま、ごらんらくありがとうござぃす。
ご指定のメールに送りましたが、送れませんでした。
父の方へご連絡をお願いいたします。
春田博之 | 2016/04/29 3:22 PM
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